この文章では、「子なし」という言葉をつかっている。
正直に言うと、この言い方には、少し引っかかりがある。
「いない」ことで定義される感じが、どうしても好きになれない。
でも、検索ではこの言葉を使ったほうが、同じような人に届きやすい。だからあえて使っている。
本当は、夫婦ふたりで生きていくという言い方のほうが、今の自分にはしっくりくる。
これは、最初から決めていた生き方ではない。
迷って、揺れて、考え続けてきた10年の結果だ。
結婚した後、思い描いていた流れ
2012年に結婚した頃、なんとなく「数年は夫婦で過ごして、その後子ども」という流れを思い描いていた。
それが特別な理想だったわけではなく、当時はそれが“普通”という世界観だった気がする。
でも、現実は思ったように進まなかった。
心の状態は安定しているとは言えず、自分のことで精一杯な時期が続いていた。
妊活と呼べるほどのことではないけれど、子どもをつくろうと考えた時期もあった。
それでも、気持ちが前に進むことはなかった。
子どもが一番になることへの、怖さ
子どもが嫌いなわけではない。
児童教育を学び、保育士の資格も取った。
だからこそ、子どもを育てることの重さも、現実も、よく分かっているつもりだった。
もし子どもが生まれたら——
自分のことは後回しにして、全力で向き合わなければならない。
その覚悟が、どうしても持てなかった。
自分自身が、生きることに不安を抱えながらここまで来た。
同じような苦しさを、もし繰り返してしまったらと思うと、怖くて仕方がなかった。
「親になれば何とかなる」と言われたこともある。
でも、その“なんとなく”に身を委ねる勇気はなかった。
心も体も、追いつかなかった時期
30代に入ってから、自分の心と向き合う時間が増えていった。
少しずつ、自分を理解できるようになり、「私は私を大切にしていい」と思えるようにもなった。
一方で、心の不調だけでなく、体調の面でも大きな変化があり、妊娠を考えられる状態ではなかった。
考える余裕も、踏み出す力も、その時の自分にはなかったと思う。
生き延びることで精一杯だった10年
30歳から40歳までの10年間、「一日をなんとか終わらせる」ことを繰り返していた。
夫婦関係の形を探し、実家との距離を見直し、自分を守る方法を必死で学んだ。
その中で、何度も立ち止まって考えた。
私は、何のために子どもが欲しいのだろう。そもそも子どもが欲しいのだろうか、と。
それでも揺れる気持ち
子どもがいない人生のメリットやデメリットを、何度も頭の中で並べてきた。
自分を納得させるために、言い訳のような理由を集めたこともある。
それでも、本音を言えば、夫の子どもを少しだけ見てみたかった。
まったく欲しくなかったわけではない。
ただ、まだ見ぬ誰かより、今の自分を優先した。
その選択をしたのは、私自身だ。
40歳になったとき、「これからは、この生き方で行こう」と決めたつもりだった。
でも、身近な人の妊娠報告を聞いたとき、胸の奥がちくっとした。
祝福する気持ちもある。同時に嫉妬もある。
その両方が同時に存在して、苦しかった。
自分はなんて心が狭くて、嫌なやつなんだろう、と悩んだ。
考え続けてきたからこそ、今がある
10年という時間は長くて短い。
これだけ考えて、向き合って、それでも揺れる。
ショッピングモールで家族連れを見て、「私は何をしていたんだろう」と思うこともある。
不安がないわけではない
子なしと呼ばれる人たちにも、色々な背景がある。
望まなかった人、望んだけど叶わなかった人、考えないようにしている人、まだ決めてない人。
それぞれが、自分を守りながら生きている。
それでもこの生き方に責任を持つ。
将来が不安になる日も、きっとある。いつか後悔することがあるかもしれない。
それでも、夫と過ごした時間を「よかった」と思って終わりたい。それだけは変わらない願いだ。
子どもがいるかどうかに関わらず、幸せも、不安も、結局は自分で引き受けるものだと思っている。
時代は変わる。その時正しいとされたことが10年後もそうとは限らない。
誰かが作り出した「正しさ」のような風潮に流される必要もない。
ここまで読んでくれたあなたへ
自分を、責めなくて良い。
自分を、大切にして良い。
あなたが、幸せに生きることが一番大切だと思う。
私も、乗り越えたわけではない。
だけど、“この人生の、主役は私”なんだから、楽しく生きなきゃ損だと思うことにしている。
そんな健全なメンタルではないことが多いけど。
だから、今日もなんとなく生きようと思う。


